番号案内サービス; 本文へジャンプする; 番号案内サービス 番号案内(104番) お名前とご住所からお問い合わせの電話番号をご案内するサービスです。 ご利用料金 電話番号をご案内した場合は、1案内ごとに番号案内料がかかります。 番号案内料 国鉄時代はやっていたのに。 ということは、今に比べても、国鉄時代はサービスが良かったと言えるわけで、民営化して、選択肢がなくなったことは、サービスの低下だともいえるのであります。 さて、当時の東北本線の時刻表。 31年が経過するってことは、当時の小学生が40歳になるということですから、世の中の主流は国鉄時代を知らない人たちばかりになっているわけで、そういう人たちが今のJRのやり方を見て、「鉄道会社って、そういうものなんだ。」と思われるのが、私はちょっと心配になるんです。, そう思う人たちがたくさん出てくる時代になると、本当にそれが当たり前になって来てしまうわけで、でも、それってあたりまえじゃないんですよ。と私の世代が声を大にして言わないと、とんでもない世の中になってしまうわけですから、時々私は声を大にして申し上げることにしているのが31年前の国民とのお約束。, 国民の大多数が忘れているのに、こういうのを出されちゃうと、私のことを快く思わない人たちもたくさん出てくると思いますが、でも、私のことを快く思わないということは、そういう人たちにとって、こういうものを出されてしまうと都合が悪いからであって、そういう人たちが都合が悪くなるということは、地元の利用者や国民にとっては、都合が良いということになります。, そうなれば、ひいてはお国のためになることですから、私は思い出したように、31年前の国民とのお約束をこうやってUPするのであります。, でも、誤解しないでいただきたいのは、「自民党は国民に対して嘘をついている。」ということではありません。, 国鉄からJRになって、すでに政治がJRに介入できない仕組みが存在しているのでありますから、当時の政治が国民に対してお約束したことを、きちんと守っていないのは鉄道会社であって、自民党でもどうにもすることはできない時代になってしまったのです。, でも、そういう鉄道会社は、国鉄の借金を棒引きにしてもらっていて、財産や資産をきちんと引き継いていただいて、そのためのお約束が自民党のこの広告なのでありますから、国鉄を引き継いだ鉄道会社としては、やはり、きちんとやっていただかなければならないと私は考えているのです。, さて、昨今の鉄道会社のやり方を見ていると、民間会社になったからサービスが良くなったと誰もが思っているわけではないことは明白だと思いますが、では、国鉄時代はサービスが悪かったのか、ということも最近私は考え直してみたりしているのです。, 一部のマスコミ報道を覚えていらっしゃる国民の印象では、国鉄時代のサービスは最低で、到底受け入れられるものではなかった的な意見をおっしゃられる方もいらっしゃると思います。でも、私はなんだか違うような気がしています。あれだけ営業的なセンスに欠けていた現場の職員の人たちでも、思い起こせば皆さん結構親切でしたし、特に小さな子供には一生懸命サービスをしてくれていたことを思い出します。, つまり、現場の職員の皆様方は、自分たちができることで、お客様が喜ぶことであれば、けっこう一生懸命やっていたのが国鉄時代だったわけで、そう考えると、今の現場のサービスに比べたら、国鉄時代はサービスが悪かったと一概に言うべきではないのかもしれないと感じるのです。, 現場の人たちが、できることを一生懸命やるサービスって、どんなものがあるかなと思って、昔を思い出してみたら、寝台急行列車「新星」のことを思い出しました。, この「新星」という列車は、上野ー仙台間を結ぶ寝台専用列車で、つまり、指定席とか自由席とかを連結せず、寝台車だけで編成された急行列車でした。, 右側にある急行「津軽」や急行「おが」はA・B寝台の他にグリーン車や指定席、自由席が連結されているのとは対照的に、この「新星」は寝台専用列車だということは、東北新幹線開業以前の東京ー仙台間には寝台列車の需要があったということで、誰が利用していたのかというと、おそらく出張のビジネスマンが、それだけたくさんいたのだろうということが推測できます。, つまり、国鉄としては、路線特性に応じて、寝台専用であったり、寝台と座席、それもグリーン車から指定席、自由席といろいろな需要に対応できるような列車を走らせていたということになりますから、つまりは、そういうきめ細やかなサービスを行っていたということなのです。, でも、新幹線は特急料金が高いですから、そういう列車に乗りたくない人たちもいるわけで、そういう人たちは、ではどうしているかというと、皆さん夜行バスに流れている。今の世の中、夜行列車がなくなって、実は昔の夜行列車があったころ以上に夜行バスが走っていて、つまりはそれだけの需要があるにもかかわらず、一晩中列車を走らせるようなことは面倒くさいし、手間がかかる割には儲からないのでやりたくない。だから、なんだかんだと理由を付けて、みんなやめてしまったわけですが、バスよりも列車の方が体には楽なのは当たり前ですから、夜行列車があって、それなりのお値段で乗れれば、皆さんにとってはありがたい存在になるのです。, ということは、今に比べても、国鉄時代はサービスが良かったと言えるわけで、民営化して、選択肢がなくなったことは、サービスの低下だともいえるのであります。, でも、出張のビジネスマンにとっては、仙台で仕事が終わって23:20の発車まで、どうして時間を潰したものか。, 発車まで1時間半も時間があるというのに、この時刻には列車がホームに入線して来ていて、お客様に「どうぞ、お乗りになって、お休みください。」って言って、乗せていたんですね。, 発車後の車内検札なら順番に客車内をまわれば一度で済むと思いますが、これだとお客様はパラパラと、三々五々やってくるわけで、そのお客様の寝台券の確認などはどうしていたのか、私は乗ったことがないのでわかりませんが、発車してすぐに眠りに入る中、検札などできませんから、手間がかかるのを承知で、当時の国鉄は発車の1時間半も前からお客様を寝台車にご案内して、少しでも早くお休みいただけるようなサービスを展開していたことになります。, 始発駅なのに発車の3分前まで寒いホームでお客様をお待たせして、車内に入ったとたんに、「この列車では車内販売は行っておりません。どうぞご了承ください。」なんてことを平気でやっている今と比べたら、国鉄時代の方がはるかに優れたサービスをしていたと、古い時刻表を見ていて思いました。, あながち、国鉄イコールサービスが悪い、というものでもなかったなあと、今思い起こしてもそう感じるわけで、私のように国鉄時代にさんざん旅をしてきた人間としては、そういうこともきちんと伝えていくことも、ひとつの使命なのではないかと考えるのであります。. ©Copyright2020 えちごトキめき鉄道社長(いすみ鉄道前社長) 鳥塚亮の地域を元気にするブログ.All Rights Reserved. 1,300カ所以上の海外空港ラウンジで使える、プライオリティ・パスに無料でお申し込みが可能です。. チッキとは、陸・海の運輸業者による「託送手荷物」のうち、鉄道による手荷物輸送、またはその手荷物、もしくはその預り証のことである。手荷物の預り証を示す英語の check(チェック・チェッキ)からチッキと呼ぶ。同様の意味をもつ ticket が訛ってチッキと呼ばれた、という説もある。, 「チッキ」は本来、上記のように「手小荷物輸送」のうち「手荷物」やその輸送を意味するが、鉄道荷物輸送が広く行われていた当時、一般の用語法として必ずしも「手荷物」(鉄道手荷物)[1]と「小荷物」[2](鉄道小荷物)[3]を厳格に区別せず、比較的あいまいに「手小荷物またはその輸送」を指す形で用いられる傾向が少なからずあった。以下はこの用語法に基づく形で記述する。, JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)で、最寄り駅で受発送の手続きをしていた鉄道小荷物や託送手荷物、または鉄道小荷物の受発送を指した。, 上記の語源に示されるように、乗客の手荷物の託送に起源を有する。鉄道の発達とともに、乗客とは関係なく輸送される小荷物の取り扱いもなされるようになり、次第にこちらのほうが比重を増し、小口の荷物や要急送品、新聞や週刊誌等の輸送手段として定着していった。荷物専用列車の時刻は一時期、市販の旅客用時刻表にも時刻が掲載されていた[4]。, 明治時代から長年、郵便小包とともに小口荷物輸送の一翼を担っていたが、1970年代に入ると国鉄と労働組合との関係が悪化、激しい労働争議が頻発した。これが荷主からの信頼を失う結果となる。1976年(昭和51年)にヤマト運輸が「宅急便」の名称で宅配便サービスを開始したことや、新聞輸送のトラック輸送への転換や全国紙の現地印刷開始により、取り扱い個数が減少に転じた。これに対抗するため1982年(昭和57年)には集配サービスを付加した「宅配鉄道便Q」(人気漫画「オバケのQ太郎」をキャラクターに起用)を開始し、1985年(昭和60年)にはさらに取次店での荷物引受サービスを加えた「ひかり宅配便」の取り扱いを開始したものの凋落に歯止めはかからず、1986年(昭和61年)に鉄道小荷物サービスが廃止された。, 一方、1981年(昭和56年)8月から、新幹線で荷物を輸送する「レールゴー・サービス」も東京 - 新大阪・大阪で開始され、11月25日から東京 - 博多に延長[5]、1986年(昭和61年)からはこれに集配サービスを付加した「ひかり直行便」も開始された[6]。, なお、東海道・山陽新幹線利用の「レールゴー・サービス」は、2006年(平成18年)3月のダイヤ改正で廃止されたが[7]、2003年(平成15年)5月に「ひかり直行便」と同様のサービスを始めた西濃運輸の「カンガルー超特急便」は2009年(平成21年)8月までサービスを継続していた(名古屋駅の事務所はレールゴーの事務所の一角に仕切りを設けたものであったものを継続使用していた)。, 四国旅客鉄道(JR四国)管内では、関連会社の四鉄運輸により、特急列車を利用した小荷物輸送サービス(高松 - 松山・松山 - 宇和島・高松 - 高知・高松 - 徳島の各区間に限る。高松・松山での接続輸送は可能)が提供されている。, 鉄道小荷物については「客車便」という呼び方もあった。客車の一種である荷物車を使用し、旅客列車扱いのダイヤで運行されることに着目した呼称で、貨物列車に比較して高速であり、所定ダイヤで運行されるため輸送日数にも確実性があることを意味するものであった。ヤード輸送方式時代の貨物列車は貨車の集結状況によってどの列車に組成されるかが不確実であり、輸送日数が不安定なのが大きな欠点であった。, 「手小荷物」とひとくくりに表現されることも多いが、託送手荷物と小荷物とでは当然ながら相違があった。, 託送手荷物は、旅客が鉄道や船舶などの交通機関を利用する際に駅から駅または港から港の区間で旅客の手に余る重さ・嵩(かさ、体積)の手荷物等を駅や港の窓口で受付して輸送会社が預かる。小荷物との違いは乗車券が必要であり、自宅などへの配達が可能であった。この時に手荷物の引換券が渡される。, 小荷物について、当時の国鉄の営業規則では次のようになっていた。いずれも1980年当時のものである。, 鉄道小荷物輸送は、旧国鉄だけでなく地方や、大都市圏の一部の私鉄でも行われていた。また、旧東京地下鉄道(現・東京地下鉄銀座線)でも昭和初期に旧国鉄との連絡運輸を開始したのを機にチッキの取り扱いを開始したが、約10年間に発送が3個、到着が5個という状態だったため、1950年(昭和25年)にチッキ扱いは廃止された[8]。, 2016年(平成28年)現在、島根県の一畑電車で手荷物[9]・小荷物制度[10]が存続しているほか、近畿日本鉄道、南海電気鉄道を除く関西の大手私鉄では、利用頻度は高くないものの新聞の原稿について託送制度が存在している[11]。, 重量や輸送距離により変動するが、1959年当時は運送距離の遠近に関わらず115円で、配達をしてもらう場合は30円加算された。また、発送駅から到着駅までの運賃は旅客同様最短距離によるが、私鉄駅からの発送の場合は私鉄線の運賃も加算された。, 日本の鉄道からは託送手荷物は姿を消したが、航空機や高速バス、離島航路においては乗客の手荷物を預かって輸送(通常は乗客と同じ便で)するサービスが常識となっている。性格は託送手荷物そのものである。いずれも客室が狭いことや、保安上の理由によるものであるが、ターミナルで荷物を持って移動する負担が減る等、乗客にもそれなりの利便性がある。, 九州地方のいくつかの大手バス事業者では、九州産業交通がかつて一般路線バスによる小荷物輸送を行っていたほか、都市間バスによる小荷物輸送すら、長い歴史を持ちながら現在も行われ続けている。, 日本の鉄道においては、その旅客輸送密度の高さ故に荷物輸送のためのスペース・人員・ダイヤを確保できなくなったのが実情である。客室にも相対的にゆとりがあり、乗車中の手荷物託送の必要性は航空機や高速バス程には高くないが、乗り降り、ターミナル移動時等を含めると必要性が認められることも少なくない。, 託送手荷物のもう一つの機能である「駅から目的地へ(またはその逆)の手荷物配送」については、いくつかの取り組み事例が見られる。個別施設によるサービス提供が多いが、地域で横断的に行われている取り組みとして注目されるものに、大分県由布市由布院温泉の「ゆふいんチッキ」がある。これは由布院観光総合事務所(由布院温泉観光協会と由布院温泉旅館組合が共同運営)が2003年7月から提供しているもので、九州旅客鉄道(JR九州)久大本線由布院駅前(受付所を開設)と各宿泊施設との間で手荷物託送を行う。自家用車の観光地乗り入れを減らすために鉄道の利便性を高める目的で始められ、一定の効果も認められている。名称は国鉄時代のチッキを意識して名づけられたものとのことである。, 2005年3月からは、神奈川県足柄下郡箱根町箱根湯本地区で同様な手荷物託送を行う「箱根キャリーサービス」が、箱根登山バスにより開始されている。, また、鉄道荷物会社(下記「その他」を参照)であった企業によるサービス提供の例として、西日本旅客鉄道(JR西日本)グループのジェイアール西日本マルニックスが京都・大阪両市内で提供しているキャリーサービスが挙げられる。これは、京都駅と京都市内の旅館の間、および新大阪駅・ユニバーサルシティ駅と大阪市六区内のホテルとの間で手荷物託送を行う(宿泊施設から駅への配送は京都市内のみ)もので、旧国鉄のチッキの市内配送の名残りそのものと見ることもできる。, 国鉄の小荷物営業に関連して、駅構内での荷物積み下ろし業務や、トラックによる駅からの荷物集配業務等を受託する国鉄の関連企業があり、「鉄道荷物会社」と呼ばれていた。日本全国で21社存在したが、鉄道小荷物営業廃止の影響を受け、転廃業する社も生じた。存続している企業には「ジェイアール東日本物流(旧・東京鉄道荷物)」「ジェイアール西日本マルニックス(旧・大阪鉄道荷物)」等がある。, 2011年になって、「貨客混載」の形で宅配便事業者であるヤマト運輸関西支社が軌道事業者の京福電気鉄道と提携して、ヤマト運輸の宅配便荷物を京福嵐山本線の路面電車に載せて集配を行うシステムを開始した[12]。同様に、佐川急便も2017年より北越急行と提携し、ほくほく線列車に宅配便荷物を載せて輸送する事業を開始している[13]。, JR東日本管内では、東北新幹線の東京 - 仙台、上越新幹線の東京 - 新潟で継続中。, 巨大ターミナル・阪急梅田駅ホームにあるナゾの「箱」 関西鉄道特有「新聞原稿」託送制度を追う(4/4ページ), https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=チッキ&oldid=78009349, 受付は小荷物取り扱い駅で午前9時から午後5時まで。但し、貴重品や特殊な物品は取り扱い駅を限定して取り扱う。, 配達はするが、配達可能駅と配達可能エリアを別に指定し、配達料金を徴収する。それ以外は駅留(駅まで取りに出向く。受付時間は午前9時から午後5時まで)。, 荷物は厳重に荷造りした上、荷受人・荷送人を書いた紙などを荷物本体に貼ると共に、同じ内容を書いた荷札をくくりつけなければならない。.